里山資本主義

食っていくためには、やはり常に「埋蔵文化財」を掘り起こし続け、新しいものを出していくしかない。日本には無限といっていいほど、こうした資源が眠っているのだ。
里山資本主義的な要素が日本の産業や技術には数限りなく盛り込まれている。
イタリアなども芸術性のある中小零細企業が底辺を支えているため 意外に希望があるかもしれない。今後里山資本主義が存在感を強めれば、ブロック化する世界経済に風穴を開けて新しい構図を形成する可能性が出てくるかもしれない。直接消費者に向けたものは不得手である。アップル、マイクロソフトの後塵を排したのだろう。日本的な産業力
経済的ひとつの限界だったのかもしれない。日本経済 いまや経常収支を支えるのは移転所得である投資や利息など海外からの仕送りで食いつないでいるような状況だ。地方自治体も工場の誘致だけでなく 外国人観光客の取り込みに頭を悩ませるようになった。日本は、文化が根付いていて、伝統的な工芸品や技能も多い。農業の分野でも世界に誇れる野菜や果物いろいろある。数人単位でもグループになり、コツコツつくり育てられるモノはたくさんある。
日本の強みは、全国各地に里山資本主義をつくり出す余地があり
世界に通用するだけの「埋蔵文化財」が山のように眠っているという潜在能力の高さである。緊張をはらむブロック経済であるが、そんな世界でも日本の里山資本主義は共存していける。ブロック化を回避する流れを形成することができるだろう。
そういう世の中でも生きていくための多様なあり方が見えてきている。この二つが同時進行しているのが現状だ。グローバル企業がいくら儲かっても国民は食っていけない。
資本主義の次に待ちうける新しいステップが日本の中で一番芽生えていることに
無関係であるとは思えない。グローバル化に国家の存在意義が問われる事態の
一方で、ひとつひとつは小さくても、バカにできないまとまれば大きな力になる。
地域資源を利用する里山資本主義を
活性化させていくことがこれから日本の目指すべき道ではないだろうか。